2018年04月29日

北海道新聞記事4/11 ぶらたび

ぶらたびで、有珠の紹介を洞爺湖有珠火山マイスターの福田さんがやっていた。紹介したいとおもいます。(きむら)

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posted by 管理人 at 00:07| 日記

2018年04月03日

伊達小学校展示(続き)洞爺湖・有珠山のなりたち2/3

7.   有珠外輪山の活動 2万年ほど前になると洞爺湖の南側から活動が始まりました。溶岩と火山灰を噴出しながら小型の富士山のような姿に成長したと考えられています。東側のふもとでは流れやすい溶岩が軽石状に泡立ちながらくだけて、火口周辺に降り積もりスコリア丘と呼ばれるものも出来ました。これは現在ドンコロ山と呼ばれています。また、北方の羊蹄山も盛んに噴火をくり返し、現在の姿に近い高さに成長しました。

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8.有珠外輪山の山崩れ 8000年ほど前に小型の富士山型に成長した有珠山の山頂部が大きくくずれました。くずれ落ちたものは南西部に広く堆積しました。そして無数の小さな丘を作りました。これは「流れ山」と呼ばれ、海岸から2kmほど沖合いまで到達しています。この山くずれによって山頂部には大きなU字型のくぼ地ができ外輪山の元となりました。

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9.有珠山最大級の噴火(寛文噴火) 山頂の山崩れの後、有珠山は7000年あまり活動を休んでいました。その間は山は緑におおわれ、海岸は島々や入り江ができて豊かな動植物の楽園となりました。縄文人がその自然の恵みを求めて生活したことが遺跡となって残っています。西暦1663年、有珠山は長い休止からふたたび活動を開始しました。激しい爆発で大量の軽石と火山灰を噴出し、周囲を砂漠のような姿に変えてしまいました。

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10.小有珠を作った明和噴火(西暦1769年) 西暦1700年ころにも噴火がありましたが、記録に残されていないためくわしいことは不明です。その後の1769年にやや大きな噴火が起こりました。軽石や火山灰の噴出と高温のガスが混ざって流れる火砕流(かさいりゅう)も発生しました。また、火口内にかたまった溶岩が押し上げられ「小有珠溶岩ドーム」ができたと考えられています。

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11. アブタ村を全滅させた文政噴火(西暦1822年) この時の噴火については有珠善光寺に残された記録や役人、商人などの記録からくわしいようすが分かっています。地震が強まりながら回数を増し、4日目に噴火を開始しました。それから11日後に最大級の噴火となり、山麓をすっぽりおおうほどの火砕流も発生しました。その一部はくずれるように激しく流れ下り、山麓にあった旧アブタ村をおそい焼き尽くしました。死者100名ほどになったと言われています。

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12.大有珠ができた嘉永噴火(西暦1853年) この噴火も文政噴火と同じくらいの激しいものだったと考えられます。それは周辺に降り積もった火山灰の量から推定できます。また、活動の後半に大きな溶岩のかたまりを押し上げ「大有珠溶岩ドーム」もできました。また火砕流も発生したようです。

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つづく

posted by 管理人 at 12:14| 日記
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