2023年02月27日

日本北限の有珠湾のコメツキガニを守る為に

伊達市へ意見を出しましょう

伊達市環境白書への意見募集(R5年2月22日〜1ヶ月)

詳しくは

1.今なら伊達市HPのトップページ「新着情報2月22日」から行くことができます。

https://www.city.date.hokkaido.jp/

2.ここに環境白書・意見募集について書いてあります。

https://www.city.date.hokkaido.jp/hotnews/detail/00006249.html

3.提出用紙としてこちらを使用することができます。

https://www.city.date.hokkaido.jp/hotnews/files/00006200/00006249/20191225101237.pdf

参考 森ネットHP2/11貝.海浜(福田)のコーナーで、有珠湾のコメツキガニの詳細が掲載されています。

1/21北限唯一有珠のコメツキガニ公開学習会実施

2/26 日本北限の有珠湾のコメツキガニを守る会が発足。

posted by 管理人 at 21:41| Comment(0) | 日記

2023年02月11日

有珠湾のコメツキガニについて

コメツキガニはスナガニ科の一種で、

成長しても殻の長さが1pほどの小さなカニです。

引き潮の時に現れる干潟と呼ばれる砂浜に住んでいますが、

波静かな入江の奥などの限られた場所にしかいません。

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本州では昔は普通に見られたカニでしたが、

近年は砂浜の減少や環境悪化のため、生息場所が失われ、

多くの県では絶滅危惧種に指定されています。

(青森県では絶滅危惧種U類)

現在の分布は北海道南部以南となっていますが、

北海道では唯一、有珠湾のみで確認されています。

ですから、有珠湾のコメツキガニは日本最北のカニなのです。

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生態の特徴は砂浜に小さな竪穴を掘り、

巣穴として外敵や休息時に閉じこもります。

エサは砂場の表面に繁殖する珪藻などを砂ごと集めて、

鰓でこしとり、残った砂粒を団子のように丸めて吐き出します。

暖かい時期の干潮時に活動し、

満ち潮の時は砂団子で巣穴をふさぎ休みます。

寒い時期は冬眠しています。

有珠湾のコメツキガニの貴重性

@ 北限のカニであり、北海道唯一の生息である。

A 周囲の分布域から100km以上隔絶されている。

B 分布範囲が極めて狭く、合計1,000u以下である。

C 個体数も1,000匹前後で成カニは200匹程度と思われる。

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D 1960年代には有珠湾の干潟は広く、

10万匹以上生息していたと推定されるが、

現在は100分の1にも満たない。

今後も減少する可能性が高い。

E 生息環境(干潟)の減少、

環境悪化など現状のままでは回復する可能性は極めて低い。

 

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上記のことから、有珠湾のコメツキガニは

絶滅危惧種の中でも極めて緊急性が高く、伊達市は躊躇なく、

指定に向けて行動を起こすべきです。

また、このカニの存在は北海道の野生生物の中でも

特筆すべきものであり、道としても緊急の保護対策を講じるべきです。

単に絶滅危惧種認定に止まらず、「天然記念物指定」も視野に入れ、

これまで全く行われてこなかった保護対策の反省を強く求めます。

伊達市の貴重な自然文化遺産であると同時に、道、国レベルの遺産です。

有珠湾奥湧水地(ナイフルカ)の

護岸かさ上げ工事について

8月19日、突然工事が始まった。地元住民も寝耳に水であった。

津波対策のためそれまでの高さ約3mの護岸を1m嵩上げするとの

ことだった。この場所は有珠山の山体崩壊によってできた、

流れ山の間から地下水が湧き出す貴重な場所だ。

有珠湾岸には数か所知られているが最大の場所で、

周囲には縄文時代からアイヌの遺跡があり、

考古学的にも貴重な所である。また、

北海道では有珠にしか生息していないコメツキガニや、

内浦湾岸でもここだけと思われるウミミドリ、

エゾツルキンバイなどの希少な生物の生息地でもある。

直ちに工事発注者である胆振振興局室蘭建設部へ連絡。

8月23日、現地で工事概要を聞いた。

特別な場所であることを我々から説明、一時、工事は中止。

9月21日、NPO森水人ネットと工事担当者と協議、

工法の一部修正と住民説明会開催を要望。

10月24日に住民説明会は行われたが、

有珠住民のみで一般市民は傍聴さえ禁止。

10月27日、市から森水人ネット代表他数名との説明会開催の提案。

マスコミ、一般市民参加不可とのこと。我々からは一般市民対象、

マスコミ取材可を要望。市はそれを拒否しあくまで秘密裏にしたい意向。

我々は質問項目を提示し文書による回答を求めたが、

市は秘密会議の中で説明するとの一点張り。

12月に入り、こうしたやりとりを繰り返したが埒が明かないので、

再度、質問事項を提示し、文書回答を求めました。

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全工事区間の内、約3分の1の変更が、

何故できないのか不思議でなりません。

森水人ネットから市へ7項目の質問状を提出していましたが、

12月20日、回答がありました。

一見、論理的な説明のように思われますが、

「生物は強引に移動」「野鳥への配慮は全く無し」

「市民への説明会は実施しない」

「地下水問題も科学的説明はなく、津波対策一辺倒」

「内陸側への計画一部変代案は2億円も増加するので不可」

と言った内容でした。

おまけに市民対象の説明会を要求する場合、

科学的根拠、法的根拠を示せという

「世論を封じ込める」ような文言で、

「説明を終えたことにするので、1月から工事再開する」とのことでした。

これに対し各項目ごとにNPO側から強く反論し、

野鳥に関しては法的な側面から、

コメツキガニについては「北海道唯一で

日本の北限の生息地」であることを訴えています。

さらに追加意見を加え、市へ提出しました。

皆さまもあらゆる方法で広く市民へこの問題を広めて下さい。

一般市民への説明は不要ということは市民の声を無視するものです。

1月19日、道担当者と森水人ネット代表者等が話し合い、

基本的な計画変更は現段階では無いとのことでしたが、

環境調査は行う事、結果がでるまでは、

工事は中止するとの内容でした。

部分的な簡易調査ではなく、

有珠湾全域に及ぶ総合的な調査を求めて行きたいと考えています。

今後の対応

◆コメツキガニを絶滅危惧種認定への要請をしましょう。

◆コメツキガニやその生息環境についての学習会・

  観察会を通して、知識を深めましょう

◆コメツキガニを市の自然遺産として「天然記念物指定」へ

  活動を続けましょう

◆コメツキガニ保護を有珠地区の街づくりのシンボルにしましょう

これからの活動にご協力頂ける方は下記までご連絡下さい

伊達市南有珠町106 福田茂夫

        電話0142−38−2593

        携帯090−2692−1673

伊達市乾町84−3 木村益巳

       電話0142−25−5858

        携帯090−7057−3248

posted by 管理人 at 17:10| Comment(0) | 日記

2022年11月30日

アヤメ川にある水神碑について

NPO森水人ネット理事・伊達郷土史研究会副会長 福田 茂夫

明治2年、伊達邦成公が有珠郡の支配を認可され、移住を開始。

明治4年、第3回移住(総勢788人)が実施され、末永町周辺に開墾の鍬が

降ろされた。

まず掘立小屋を作り、飲料水の確保が最初の仕事となった。

現在の水神碑のある近くから良質な湧水が発見され、協力して疎水(水路)を

掘り、各戸の側を流して、飲料や生活用水とした。

大切な水を守る願いを込めて「水神碑」を祀り、年2回、感謝の祭りを行った

と言われている。明治7,8年頃であろう。

この移住は最大の人数だったが、開墾の為の農具や種子などが遅れてしまい、

全く収穫物の無い状態で、手持ちの食料も底を尽き餓死の危機に直面した。

国への援助を懇願し、ようやく翌年春に食料支援が行われた。

この時、支援米の采配に尽力したのが函館の食料監督官だった山田致人であっ

た。

後に伊達が村制で伊達村となった時、大恩人の山田を初代村長に迎えた。

体調を崩し山田が辞職すると、村民は挙って資金を出し合い、現在の厚沢部町

に邸宅を建て、恩義に報いたと言われている。厚沢部町館町に彼の墓がある。

墓碑文は盟友だった榎本武揚の揮毫による。

さて、その後、紋別川上流からも分水し、途中で灌漑用に利用され、地域の農

耕にも大いに活用された。

この疎水は菖蒲小路という通りの名から菖蒲川と呼ばれていたが、

水車を設置し、精米や製粉、味噌・醤油などの醸造用の大豆擦臼の動力として

活用された。

最盛期には40基もの臼が設置されたと言われている。そのため、川の名も「水

車川」と呼ばれるようになった。

明治25年、黒田伝左衛門、佐藤進之介が発起人となって、翌年、現在ある石碑

が建立された。

開拓当時の苦闘の歴史や飲料水としての泉の有難さなどを碑文として刻み後世へ

伝えている。

しかし、時代と共にその存在も忘れ去られていたが、昭和21年、荒募氏によっ

て水神祭が復活したものの、3年ほどで途絶してしまった。

昭和57年、近隣の有志によって祭典が復活した。当初10月10日だった祭日

は10月1日に改められ、今日まで引き継がれている。

石碑はアヤメ川の歴史をこれからも見守り伝えて行くであろう。

 

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【写真:上左から正面、左側面、下は裏面、下右側面、碑文は右から左へ続けて読む】

posted by 管理人 at 15:30| Comment(0) | 日記
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