2018年06月21日

有珠海浜の清掃2018.6.10

                                                                          ( 記 平鹿 裕子)

2016年8月末の台風災害は、道内各地に甚大な被害をもたらした。有珠アルトリ岬福田さん宅周辺の海岸では、見るも無残なゴミで海岸線が埋め尽くされて、福田さん夫婦は連日ゴミ拾いを続けた。このゴミが、いずれ海中でマイクロチップ化することを怖れた友子さんは、腰痛を発症して病院通いをしてまでも海岸のゴミを拾い続けて2年近くになる・・・

2018年6月10日に、森ネットのメンバー7人が参加して海岸清掃を行った。今年はいつもの海岸のゴミは激減したので、別の浜で二手に分かれてゴミ拾いをはじめた。暑くも寒くもなく、風もない穏やかな砂浜には、やはり多種多様なゴミがいっぱい。

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福田友子さんは「今回の清掃エリアは、伊達市の清掃が一度も入らない場所。海水浴場部分だけ清掃し、あとの場所は放置です」と憤る。環境を守るという視点が、行政には全く欠けているという現実がある。ビン、缶、ビニール袋、炭焼きしたのかその道具も放置。一番目立つのはやっぱり漁具だろう。大きくて目立つ浮き球や綱やカゴ類が目立つ。中が空洞の浮き球だと、軽くて運びやすいが海水や砂が入っていると運搬には苦労する。

この日は、浮き球を集めるのに福田茂夫さんが自家用ボートを使った。砂浜の数か所に集めた浮き球を船に載せ、力強く見事なオールさばきで波の上をすいすい進んで、浮き球の集荷場所までボートで運んだ。その雄姿に、思わず見とれた私たち!

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「すごいね!」「疲れないのかな・・・」「オールのさばき方は、やっぱりプロだね!」 だいたいのゴミがなくなり、帰るときに「船に乗っていく?」思わず、「いいんですか?乗っていきま〜す」と木谷さんと私。わくわくドキドキしながら、船のに乗り込み波の上・・・ゆらゆら、海中の海草もゆらゆら、なんて気持ちがいい!

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福田さんは「昔から鍛えているので船を漕ぐのは、数時間漕いでも疲れないよ、もうそういう筋肉ができているからね」すごい!自宅から善光寺まで船で2往復(4時間)しても、平気とか。シニアにして、その筋肉、その体力に感動!無事に福田宅横の浜に到着し、車庫でお茶タイム。砂浜で膝はガクガクしたが、船に乗せてもらってわくわく楽しかった。アルトリ岬はいいなあ〜

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この日の収穫?は、40Lゴミ袋で、可燃ごみ18、不燃ごみ3、浮き球70数個、他にもロープやホタテかご。なかなかの成果でした。

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posted by 管理人 at 22:39| 日記

2018年05月19日

洞爺湖・有珠山のなりたち3/3

13.大有珠たんじょう後の有珠山 この絵は嘉永噴火後の有珠山を想像したものです。大有珠、小有珠の溶岩ドームの間に小さなこぶ山が見えますが、それは文政噴火でできたと考えられている「オガリ山」です。大有珠、小有珠からから盛んに水蒸気が吹き上がっていました。後に銀沼と呼ばれる加工も小有珠の南側にありました。

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14.明治43年の噴火(西暦19010年) この噴火は有珠山の北側で発生し、次々と火口の位置を変えながら水蒸気爆発をくりかえし、2列、45個の火口を作りました、また、かたまった溶岩が地表を押し上げ小高い丘をつくりました。この山は「四十三山(よそみやま)」、または「明治新山」と呼ばれるようになりました。

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15.昭和新山のたんじょう(西暦1943〜1945年) 噴火前の半年間、小さな地震がくりかえされ、有珠山の東側の大地が盛り上がり始めました。多くのきれつや断層を作りながら盛り上がりの中心は北側へと移動しました。現在の昭和新山の真下あたりから噴火が始まり、次々と火口をつくりながら大地は急速に盛り上がりました。活動の終わりごろには固まった溶岩が地表を突き破り、真っ赤に焼けたドームが出現しました。これが「昭和新山」とよばれるもので、当時、壮瞥町の郵便局長をしていた三松正夫さんが活動のようすをくわしく記録しました。

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16.有珠山火口原内に新たな山を作った昭和52年噴火(1977〜1982年)

活動開始から噴火までわずか32時間という短時間の噴火でしたが、終息まで5年におよぶ息の長い活動となりました。噴火はいきなり激しく軽石や火山灰を噴き上げ、1万2千mもの高さに達しました。4度の大きな噴火と中小の噴火を交えた活動が1週間ほど続き、その後は地震と火口原の盛り上がりが中心となりました。3ヶ月後から中小の水蒸気爆発やマグマ水蒸気爆発がくりかえされるようになりました。その幹、小有珠の東側とオガリ山を結ぶ尾根状の盛り上がりが続き、役160mもの高さとなりました。これは地価に固まった溶岩が押し上がってきたためと言われています。活動は1982年3月まで続きました。小有珠南側には多くの火口がまとまって巨大な銀沼火口もできました。

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17.意外な場所で噴火した200年活動 有珠山の活動はまず地震から始まるといわれ、その観測で噴火場所があるていど突き止められると考えられていました。西山のさらに西側で噴火するとはだれも予想できませんでした。幸い避難も終えていましたので死者が出ることなくすみました。中小の水蒸気爆発をくりかえしながら、60ヶ所に及ぶ火口ができました。2つのグループら分けられ西山火口群、金比羅火口群と呼ばれています。活動は半年あまりで治まりましたが、西山火口群の中心部は最大80mほど大地が盛り上がりました。また、周辺広く大地に亀裂が入ったり、断層で多くの建物や道路などに被害がでました。(今回のシリーズ終了)

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posted by 管理人 at 11:26| 日記

2018年04月29日

北海道新聞記事4/11 ぶらたび

ぶらたびで、有珠の紹介を洞爺湖有珠火山マイスターの福田さんがやっていた。紹介したいとおもいます。(きむら)

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2018年04月03日

伊達小学校展示(続き)洞爺湖・有珠山のなりたち2/3

7.   有珠外輪山の活動 2万年ほど前になると洞爺湖の南側から活動が始まりました。溶岩と火山灰を噴出しながら小型の富士山のような姿に成長したと考えられています。東側のふもとでは流れやすい溶岩が軽石状に泡立ちながらくだけて、火口周辺に降り積もりスコリア丘と呼ばれるものも出来ました。これは現在ドンコロ山と呼ばれています。また、北方の羊蹄山も盛んに噴火をくり返し、現在の姿に近い高さに成長しました。

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8.有珠外輪山の山崩れ 8000年ほど前に小型の富士山型に成長した有珠山の山頂部が大きくくずれました。くずれ落ちたものは南西部に広く堆積しました。そして無数の小さな丘を作りました。これは「流れ山」と呼ばれ、海岸から2kmほど沖合いまで到達しています。この山くずれによって山頂部には大きなU字型のくぼ地ができ外輪山の元となりました。

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9.有珠山最大級の噴火(寛文噴火) 山頂の山崩れの後、有珠山は7000年あまり活動を休んでいました。その間は山は緑におおわれ、海岸は島々や入り江ができて豊かな動植物の楽園となりました。縄文人がその自然の恵みを求めて生活したことが遺跡となって残っています。西暦1663年、有珠山は長い休止からふたたび活動を開始しました。激しい爆発で大量の軽石と火山灰を噴出し、周囲を砂漠のような姿に変えてしまいました。

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10.小有珠を作った明和噴火(西暦1769年) 西暦1700年ころにも噴火がありましたが、記録に残されていないためくわしいことは不明です。その後の1769年にやや大きな噴火が起こりました。軽石や火山灰の噴出と高温のガスが混ざって流れる火砕流(かさいりゅう)も発生しました。また、火口内にかたまった溶岩が押し上げられ「小有珠溶岩ドーム」ができたと考えられています。

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11. アブタ村を全滅させた文政噴火(西暦1822年) この時の噴火については有珠善光寺に残された記録や役人、商人などの記録からくわしいようすが分かっています。地震が強まりながら回数を増し、4日目に噴火を開始しました。それから11日後に最大級の噴火となり、山麓をすっぽりおおうほどの火砕流も発生しました。その一部はくずれるように激しく流れ下り、山麓にあった旧アブタ村をおそい焼き尽くしました。死者100名ほどになったと言われています。

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12.大有珠ができた嘉永噴火(西暦1853年) この噴火も文政噴火と同じくらいの激しいものだったと考えられます。それは周辺に降り積もった火山灰の量から推定できます。また、活動の後半に大きな溶岩のかたまりを押し上げ「大有珠溶岩ドーム」もできました。また火砕流も発生したようです。

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つづく

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2018年03月06日

伊達の小学校で展示(続き) 洞爺湖・有珠山なりたち1/3

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1. 日本列島のおいたち 今から1億年ほど前、日本列島の元となった大地はユーラシア大陸の日本海沿岸の位置にありました。数千万年前に大陸から分かれ南側へ移動してきました。そのころの日本はほとんど゛か海底で、火山島が所々で頭を出しているような姿だったと思われます。この絵は現在の日本の大地がどのあたりから移動してきたかを示しています。大地の動きは現在でも続いているのです。

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2. 数100万年前の洞爺湖周辺のようす 画面の奥の方は日本海で手前が太平洋です。左側の火山島は現在の洞爺湖の西側の豊浦町方面の大地を作った火山群です。右手の大地は洞爺湖の北側や大滝方面の大地を表しています。北海道のほとんどは海底の盛り上がりと火山活動によって作られたといえます。

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3. 100〜50万年前のようす 海底にあった台地は次第に持ち上がりながら、各地で次々と火山が活動し、火山灰や溶岩で埋めながら現在の地形に近づいてきました。点線で囲まれたあたりが現在の洞爺湖の場所になります。有珠山や羊蹄山の姿はまだありません。このあたりはなだらかな丘や平原のような地形だったと思われます。

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4. 11万年前の巨大噴火 現在の洞爺湖付近で激しい火山噴火が起こりました。3万mを越える高さまで軽いしや火山灰を噴き上げ、北海道全体と東北地方北部をすっぽりと包み込むほどでした。

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5. 洞爺湖カルデラのたんじょう 巨大噴火はわずか1週間程度で終わったと考えられます。周囲は厚い火山灰と軽石で埋まり、なだらかな平原状になりました。100m以上の厚さで堆積したところもあったようです。そして、活動の中心部は直径10km以上、深さ500mもある円形のくぼ地となりました。これが後に洞爺湖となる洞爺カルデラの誕生です。

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6. 5万年ほど前のようす カルデラの周囲は次第にくずれてなだらかな斜面となりのした。また、内部にはアマミス゛や地下水がたまり湖が出来ました。約5万年前、再び火山活動が始まり、湖の中心部で激しい爆発や固まった溶岩がいくつも押しあがって現在の中島が出来ました。これが洞爺湖の原型となったのです。このころ北の方では羊蹄山が噴火をくり返し、洋画や火山灰を噴出して成長していました。有珠山の姿はまだみえません。 (つづく)

posted by 管理人 at 00:09| 日記
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